2020 March

 

 
 
 
3月に入ると新型コロナウィルスの感染拡大による外出自粛要請は益々となり美術館や展覧会は軒並み臨時休館、普段なかなか出来ない「細々した整理」をする時間に充てる。長い間箱の中に溜めていた絵葉書、可愛らしいノートルダムのイラストのカードは友人O嬢からのグリーティング。昨年の火事で燃え落ちた姿も健在、アクリルの額に入れアトリエに飾る。

 

 

 
 
東京に居る時はなかなかゆっくりDVDを見る余裕がないので、軽井沢に来ると見たかったDVDを少しずつ見る。「13 Jours en Franceー白い恋人たち」はフランスの名匠クロード・ルルーシュによる1968年のグルノーブルオリンピックの記録映画、フランシス・レイによる音楽はあまりにも有名。著名なスキーカメラマン、ウィリー・ボグナーが選手の直後をストックを持たずに高速で滑りながら撮影するシーンは今見ても大変な迫力。アルペン3冠達成、伝説のスキー選手ジャン・クロード・キリーの姿も。

1968年のカンヌ映画祭は5月革命で中止になり40年後の2008年、オープニング作品として上映されたこの作品、会場には監督のクロード・ルルーシュも登壇したそう。口笛で始まる主題歌の素朴でシュールな印象がいつまでもリフレインする・・・。

 

 

   
 
 
 
神保町に資料用の本を探しに行く。80年代、バブルの時代にデザイン界で一斉を風靡した雑誌「STYLING」のバックナンバー、懐かしいデザイナーや作品、レストランなどが並ぶ。「全てが超一流」というコンセプトも80年代を象徴するよう・・・。

 

 

   
 
 
80年代、時はバブル真っ盛り、私は高校生だった。パリに憧れていた当時の私の愛読書はオリーブ、「フランス直輸入」という雰囲気たっぷりのELLE JAPONはそのお姉さん雑誌のような存在。今見ても新鮮なスタイリングと誌面に広がる「パリっぽさ」、その後パリに住むようになってもこの頃のELLE JAPONを超える雑誌には出会わない。

 

 

 
 
銀座和光に「ギメル展―桜の歌」を見に行く。満開の桜も新型コロナウィルスの感染拡大の影響で愛でる機会も少ない今年の春。高い技術と細やかな細工、眩いばかりの光を放つダイヤモンドが散りばめられたギメルの桜に心が洗われるよう。

 

 

 
 
フランスに長かった祖父から聞いた「ディオール」という名前、その後母からもらった最初の香水がディオールのディオリッシモだった事・・・。そんなことから私にとってDIORはフランスそのもの、今もその気持ちは変わらない。このドキュメンタリーは生前のディオール本人の貴重な映像や当時のアトリエの様子、スタッフが語るディオールのエピソードなど何度見ても飽きない。

 

 

 
 
  私が子供の頃、バイブルのように大切にしていた「生活の絵本」。戦後から20年、「それいゆ」を卒業した世代がファミリーを持ち「ライフスタイル」という言葉が定着し始めた時代。インテリアやクッキング、ハンドメイドの記事は今見ても新鮮。生活を楽しむちょっとしたコツ、のようなコラムも楽しい。大橋歩さんのイラストによる表紙も懐かしい創刊号、我が家の取材記事には母の手作りのワンピースを着た私も登場。膨大なバックナンバーを整理する眩しいような素敵な時間・・・。

 

 

   
 
 
イタリア人の友人と皇居東御苑(江戸城跡)を訪れる。私にとっても初めての事、毎日のように通る大手町の駅を降り開門前の静かなお堀端を歩く。 江戸城の正門に当たる高麗門と大手渡檜門、いつもの東京とは全然違って見える。

 

 

 
 
皇居造営の一環として皇居東地区の旧江戸城本丸、二の丸と三の丸の一部を皇居附属庭園として整備。昭和36年〜43年の長きに渡る造園工事により完成した約21万平米の広大な庭園は昭和43年から宮中行事に支障のない限り一般に公開されているそう。江戸図屏風絵を見つつこれから歩く壮大な庭園を予習する。

 

 

 

   
 
 
江戸城のスケールは全てにおいて規格外、櫓や城門、柱の太さや扉も徳川将軍の脅威を示すかのようにとてつもなく大きい。巨大な枡型の門の正面に濠、その向こうにはこちらも巨大な石垣の壁。地形を生かした濠と土塁、幕府の威光を示す城門、敵を寄せ付けない桝型門、そして石垣上の銃座とその構成も他に類を見ない・・・。

 

 

 

 
 
 
江戸城は265年間も日本の中心であった徳川将軍家の城、そのスケールの大きさはとてつもなく皇居一帯は江戸城のほんの一角であり総面積約230万u、外濠の総延長は約14qにも及ぶという。徳川家康が江戸幕府を開府した直後の慶長8(1603)年から築城され、当時織田信長や豊臣秀吉の下で城造りに励んだ大名しか石垣を積めなかったという。伊豆半島や箱根で採れる安山岩を相模湾を経由して船で運搬したという石垣の石、壮大なスケールで延々と続く。

 

 

 
 
 

丸の内のオフィス街をバックに今は春を待つ菖蒲田、明治神宮の菖蒲田から株分けされた84品種の花菖蒲が植えられている。それぞれの品種に札が立っているという細やかさ、ぜひ菖蒲の季節に訪れてみたいもの。

 

 

   
 
 
 
イタリア人の友人は長い滞在で何度も通っていた大手町のオフィス街と江戸城が重なる景色に驚きを隠せない様子。徳川家康、秀忠、家光と続き寛永15(1638)年の完成まで築城期間が長いため、時代による技術の発展が城内で見られるのも興味深い。防御性が高く威圧的な設計が独創的で秀逸・・・、ルイ14世のヴェルサイユ宮殿を思わせる。明治時代に吹き上げ御苑にご休所として使われていた茶屋を移築した諏訪の茶屋が静かに佇む。

 

 

 
 
香淳皇后の還暦記念として1966年に建設された桃華楽堂。お誕生日の3月6日の桃の節句とお印の「桃」、華の字形は十が六個と一で構成されていることから命名されたという。キンポウゲ科の「テッセン」の花の八弁花を型どった斬新なデザインの八角形の音楽堂、設計は早稲田大学の大隈記念館を設計した今井兼次、施工は前田建設という。モザイクタイルの外壁の図柄は各面とも大きく羽ばたく鳥を抽象的に描いたものに日月星、衣食住、風水火、春夏秋冬、鶴亀、雪月花、楽の音、松竹梅を施した8種。手仕事にこだわりを持つ今井氏は施工の際、職人に交じってタイルを貼ったという伝説もあるそう・・・。

 

 

 
 
3代・家光が建造した天守は日本最大規模であり現在の建物に置き換えると15階建てビルに相当するという。明暦の大火で焼失した後、4代・家綱により再建されるも財政難のため天守は建てられなかった、今も残る天守台からグルーミーな東京を眺める。

 

 

 
 
  昭和天皇のご発意により都市近郊で失われて行く雑木林を復元しようと昭和58年から造成された二の丸雑木林、上皇陛下の代にさらに拡張された森のような道を歩く。真っ赤な椿と少し早い桜、先ほどまでの雪がうそのよう・・・。

 

 

 
 
 
本丸地区に現存する唯一の櫓である富士見櫓、遺構の中では最も古いものと言われているそう。 本丸御殿は「表」「中奥」「大奥」の3区画に分けられ、将軍が諸大名と謁見したり江戸幕府の役人が職務を行う公邸が表、大奥は完全なプライベート空間で将軍意外の男性は入れない極めて閉鎖的な場所だった、そんな表御殿と白書院を結ぶ「松の廊下跡」に当時の生活をしのぶ。

 

 

 
 
上皇陛下のお考えを受けて植栽された果樹古品種園、江戸時代に食用とされていたニホンナシ、モモスモモ、ワリンゴなどの古品種がたわわに実をつけている。一見すると普通の果実園もさすがに奥が深い・・・。

 

 

 
 
   
 
 
美しい石垣と松の道が続く皇居東外苑の見学もそろそろ終わり。皇室に代々受け継がれてきた美術工芸品が皇室から国に寄贈されたのを機に平成元年にオープンした三の丸尚蔵館、現在は新型コロナウィルス感染拡大の防止のため臨時休業で残念。

 

 

 
 
四季折々の草花が常に咲いているように緻密にオーガナイズされた植栽も素晴らしく、梅の花に見送られるように門を出る。忙しい日々を忘れるような高尚なひと時にイタリア人の友人も感動したらしくすっかり静かに・・・。

 

 

   
 
 
朝はみぞれ交じりの雨、そして雪にまでなったお天気がうそのような快晴になり皇居東御苑を後にする。大手町のオフィス街に戻るのが惜しいような素晴らしい光景、日本最大の城郭である江戸城のスケール大きさに改めて感動する。

 

 

   
 
 
快晴の早朝、イタリア人の友人を赤坂の日枝神社にご案内。東京のど真ん中、バックには高層ビルがそびえるというシチュエーションに驚きつつ静かに玉砂利を歩く。
神聖な朝の空気に包まれた鎮守の森、28年前、結婚式を挙げた懐かしい思い出が蘇る。

 

 

 
 
江戸三大祭の一つ、山王祭が行われる日枝神社。氏子であった祖母は「山王さん」と呼んでいた。大山昨神(おおやまくひのかみ)を主祭神とし、相殿に国常立神(くにのとこたちのかみ)、伊弉冉神(いざなみのかみ)、足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)が祀られているそう。「何を祀っている神社か?」と聞かれても、漢字すら読めない私が説明できるはずもなく・・・。真っ青な空に社殿の朱色が眩しく映える。

 

 

 
 
現在は赤坂にあるこの神社、最初は川越に建てられ江戸城改築に際して社殿は麹町隼町に遷座し広く庶民も参拝できるようになったとか。縁結びや恋愛成就、仕事運や商売繁盛など数々の御利益があるとして今では人気のパワースポット。巫女さんに手を引かれて白無垢で歩いた参進、神職によるお祓いを受ける修祓、祝詞奏上、誓詞奏上、と恭しい儀式が続いた後、巫女さんによる豊栄の舞奉奏、玉串を奉り神酒拝戴の儀と続く結婚式はまるで絵巻物のようだった。

 

 

 
 
 
日枝神社では社殿の両隣には狛犬ではなく神猿像が置かれている。猿は元々神様と人間を取り持つ存在「神猿ーまさる」と称され、大山昨神が山の神という事もあって同じく山の守り神と呼ばれる猿が使いとなったそう。「まさる」という音から「勝る」や「魔が去る」とも言われ勝運の神、魔除けの神とも。猿の音読みの「えん」から縁結びや商売繁盛の祈願にもご利益があるという。子猿を抱いているオスとメスの猿の像から子宝や安産の祈願に訪れる人も多い・・・。「この猿は何?」というイタリア人の友人に説明するのは殆ど無理。

 

 

 
 
末社とは境内の外や神社の付近にある小規模な神社の事、日枝神社の末社には左に山王稲荷神社と右に八坂・猿田彦神社が並んでいる。山王稲荷神社は日枝神社の遷座以前からこの地に祀られていた日枝神社の地主神と言われ、パワースポットとしてはこの地主神にきちんと参拝することが開運のポイントとか。そのお願いは私利私欲ではなくただ感謝に徹するのが良いとされイタリア人の友人は「グラッツェ・・・」と手を合わせる。

 

 

 
 
猿田彦神社は日枝神社内で最も仕事運・道開きの強力なパワースポットとして有名な神社、物事を良い方向に導く神様「猿田彦神(さるたひこのかみ」が祀られている。また大山昨神は山の神だけでなく、始り=スタートの神様でもあるそうで良い一年のスタートとして祈願に来る人も多い。それぞれに願い事を書いた真っ赤な鳥居の絵馬が掛かる絵馬掛所、小さな鳥居がオブジェのように並ぶ。

 

 

 
 
伏見稲荷で有名な「千本鳥居」は全国各地の稲荷神社で見ることが出来るけれど、都内には2か所しかない美しい朱色の千本鳥居の一つ。西参道に続く鳥居をくぐって階段を降りると永遠に続く光の道のような錯覚に・・・、陽の光が朱色に反射しジェームス・タレルのアート作品のよう。

 

 

   
 
 
本来はこの表参道の男坂の階段、社殿正面に一直線に通じる石段の参道を上がり参拝する。外堀通りに面した赤坂側の裏参道にはエスカレーターで境内に上がる事が出来る、その設備にイタリア人の友人はびっくり。その他に稲荷参道の千本鳥居の階段を上がって境内に続く道もあり、どこからも日枝神社独特の「山王鳥居」をくぐって参拝する。

 

 

 
 
expo index 東京十社とは明治元年、明治天皇が東京の鎮護と万民の平安を祈願されたお寺を言い日枝神社はその一つ。御朱印を集めているイタリア人の友人は早速御朱印帖を・・・、私も初めて帳面を買い求めお願いする。結婚式以来28年ぶりに訪れる日枝神社、素晴らしいお天気に恵まれ神聖な朝を過ごす。いつか東京十社巡りをしてみたいもの。 page top

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